第2章 コンサート

平日のコンサートでしたが、中間考査中ということもあり、余裕を持って到着。しかも、翌日が松山出張という狙ったような日程となり、終わってから1時間ちょっとかけて帰ってからそのまま寝て、また翌日1時間以上かけて来るよりは1泊した方が楽。しかも往復のガソリン代とコンサート中の駐車料金を考えるとそんなに大差ないのでは、と思いホテルを予約。同じ県内とはいえ、1泊するとなるとちょっとした旅行気分になりますね。いつも来ている街なんですが、それだけで少し新鮮(^^)。まずはチェックインを済ませて荷物を置いて、それから市民会館まで移動しました。距離にして6〜700メートルくらい。散歩にはちょうどいい距離ですね(^^)。

市民会館横の関係者出入り口があるかと思われる路上にFreeFlightロゴの入ったトラックを発見。松山市民会館は昭和40年に松山市の中心部にある松山城下の堀之内に完成しており、駐車スペースがほとんどないんですね。でも、主催者側のトラックも停めるスペースないの?と少しびっくりしつつも、そのおかげでこうやってカメラに納めることが出来てラッキー(^^)。

会場に入ると座席数1999で、いつもの県民文化会館(3000人収容)に比べると狭さは感じずにいられませんが、7年前の30周年コンサートはどこの席だったっけ?と懐かしみつつ開演を待ちました。1ベルが鳴り、アナウンスで今回は1部構成であると説明がありました。1部構成は久しぶりですね。緞帳は会場のものをそのまま使用しており、2ベルと共に静かに開きます。ステージは白と黒のシンプルな色合いで、緞帳が開いたときには誰もおらず、まずメンバーが、そして最後にさださんが登場です! とここでちょっとした出来事が...。虎キチ@愛媛のすぐ前の列に座っている集団が横断幕を出しました。見えんがな(^^;)。今年はどうもパネルとか横断幕に縁があるようで(^^;)。詳しくはこちらの中段あたりをご覧下さいm(_ _)m

で、横断幕ですが「お父様のお誕生日」って書いてあったかな?後ろからなんではっきりは確認できませんでしたが、そんな感じのこと書いてました。さださんのお父さんが亡くなってまだ1年もたってない状況で、オープニングでこんなの見せられたら、さださんの心に何らかの変化があるかもしれない、それが発声にも微妙な影響を...ってことを想像できなかったのかな?しかも後ろが見えないっちゅーねん(怒)。時間にして数秒ですが、もう少し周りのこと考えてもらいたいですね。30〜50歳代の職場仲間って感じの5人組でしたが、会場の方にも注意されてました。当然です!
(開演18時6分)

1 主人公
2 案山子

〜MC〜
今日は3801回目のコンサート。遅れてくる人にいつものように「いらっしゃいませ」と声をかけつつ、「まだ2曲しかやってませんから」「でも、その2曲が致命的」(笑)と。いきなり怒濤の攻めで初回から3点を取りに行く攻撃でした。今日はおとなしめの曲が中心なんでよく寝れる(笑)。でも、トークになると起きる、というのはやめて欲しい(笑)。

3 異邦人
4 桐の花 

〜MC〜
今日はずっとこんな感じの通好みのコンサート。異邦人に続いて、えーとなんだっけ?最近、おとといの晩ご飯が思い出せなくなってきている(笑)。

北原白秋の「桐の花」という歌集は大人になったら読んでいい(笑)。そうやって話しながらステージ上を歩いているまっさんに向かって手を振る観客が居て、「そうやっていちいち手を振らない」と言いつつしっかり手を返すまっさん。こういう雰囲気もライヴの醍醐味ですね。で、「ほら、何の話してるか忘れちゃったじゃない」(笑)とつっこみをいれつつ、北原白秋の話に戻す。「桐の花」の序文には「今年もまた桐の花とカステラの季節が来た」と書かれておりカステラの国の住人である私(笑)は、カステラにも季節があるのか、と驚いた。あなた方は一六タルトの国の住人(こちら参照)でしょうけど(笑)。

カステラの大きさっていうのは、法律で決まってるわけでもないのにだいたいみんな一緒。「カステラ切ってきて」と頼むとだいたいみんな同じくらいの大きさになる。試してみます?と言いつつ、まっさんの合図に合わせて会場内の皆で指先で太さを表現。ほら、だいたいみんな同じ大きさでしょ、というまっさんの声に納得。若干の差は貧富の差ね(笑)。夏にカステラ切ってても数時間も経つと倒れるけど、梅雨だと6時間経ってもしっかり立ってる。ほら、来年の梅雨の楽しみが出来たでしょ。ただ、このこと覚えてれば、ね(笑)。

時々「さださんは自分の曲の中で一番好きな曲は何ですか」と聞かれるけど、大変困る質問だ。これが一番好きっていうのが出来ちゃったら歌手なんて辞めてる。それを作るために頑張っているんです。これはいい詞ができたな、っていうのはありますけど...。といいつつ次の曲に入る。

5 北の国から
(曲が始まると少し笑いがおき、2番はいつものように会場内大合唱。) 

〜MC〜
メンバー紹介。「北の国から」は最近、サッポロのクリーミーホワイトのCM(虎キチ@愛媛注:今秋新発売の第3のビール)に使ってもらってるから、ハガキ(虎キチ@愛媛注:NHK「今夜も生でさだまさし」)にもよく書かれてたんだけど、スポンサー名出すわけにいかないから、札幌の方のビール、と言ってた(笑)。

6 秋桜

〜MC〜
 山口百恵さんがこの歌を歌ったのは18歳の時でやはり天才だった。私がこの曲を書いたのは24歳の時なのでやはり天才(笑)。

昔のジジイはかっこよかった。谷川徹三先生や山本健吉先生と席をもうけてもらって食事をしたことがあったが、みんな凄かった。中でも安岡章太郎先生には、会うなり「俺はさだまさしが嫌いだ」と言われたのに、井伏鱒二先生の「つくだ煮の小魚」という詩に曲をつけろ、と言われ、井伏鱒二先生直々にその許可をもらってくれた。が、それから27年もかかってしまった。

7 つくだ煮の小魚
8 静夜思
9 予感

〜MC〜
若い頃、好きだった女の子に誘われてUFOを見に行ったことがある。自分にとってはUFOを見ることが目的ではなく、好きな女の子と一晩中一緒にいれる、それだけでよかった。現地に行くと、背が高くて髪が長い...そう、あんな感じ、と言いながらメンバーの徳沢を指さし、あんな感じのカリスマ的な人物がいて「さあ、みんなで輪になってUFOを呼ぼう」と。「来て下さい」とみんなで叫んでいたが、恥ずかしかったので小さな声で言っていた。時間にして40分(笑)。いや、笑うけどね、みんなもやってご覧。と言いながら、さださんの号令で会場中「来て下さい」の大合唱(笑)。

それでも来ないと「誰か信じてない人がいる」と言われ、あっ、俺だ(笑)。それから約1時間、ずっと「来て下さい」と言ってたら、来た。周り見るとみんな「あれだ」「UFOが来てくれた」と叫んだり中には涙ぐんでる人までいたけど、自分には見えない。ひょっとするとあれ?と聞くとうなづいた。どう見ても人工衛星だった。UFOが来るっていうから、ここへ降りてくるもんだと思っていたけど、降りてくるわけじゃなかった。UFOがいるかどうかはわからないけど、もしいるとしていい宇宙人なら、早く来て地球を良くして欲しい。

UFOの形というのは、あの灰皿をひっくり返したようなアダムスキー型で60年前からずっと変わっていない。おかしいと思わないか?カローラだって2年に1度はモデルチェンジしている(笑)のに、UFOはずっと変わらない。そこで私は、ある結論を出した。これは、他に行って言わないでね(笑)。あれはUFOではない。あれはタイムマシーンなんです。タイムマシーンが出来た未来のある年から、60年前も今も、そしておそらく関ヶ原の合戦なんかも見に行ってたに違いない。過去と接触して歴史を変えてはいけないからそのまま帰って行く。どうですか、説得力あるでしょ。信じた人いるでしょ。人はこうやって詐欺にあうんですね(爆笑)。

10 思い出暮らし
11 その橋を渡る時 

〜MC〜
今日は父の誕生日です。まさか亡くなってるなんて思わないから、日めくりに書いてた(虎キチ@愛媛注:毎年通販等で販売しているさだまさし日めくりカレンダー。1日ごとにさださんの写真と言葉が書かれているが、この日はお父さんの誕生日のことを書いていたらしい)。12月に89歳で亡くなったんだけど、100まで生きるんじゃないかと思ってた。戦争に生き残ったってことで人生の運をすべて使い果たしたんではないかと思うくらいの人生で、倒産したり友人にだまされて借金したり。でも、優秀な息子(笑)に救われて、その息子のお金を使いまくった(笑)。今年精霊舟を出したが、死んでからもお金を使われた(笑)。

父が老いたきっかけは怪我だった。怪我で歩けなくなって、それから少しずつ老いていったような気がする。最後は朝飛行機で長崎に飛んで親父に会ってそれから昼の便で戻ってきてコンサート、という生活を何度か続けた。それでも最後の東京フォーラムまで頑張ってくれて、それから病院にかけつけて16時間頑張った。ご老人には、どうぞ怪我だけはしないように気をつけてあげてください。それから(と言いながら客席を見渡し)、ご自身が老いているという認識のある方(笑)は、どうぞ怪我にだけを注意して下さい。「はしょらない、急がない、慌てない」が合い言葉です。

親父の武勇伝はたくさんある。本人が生きているうちは書きづらいこともたくさんあったけど、いつか必ず本にするから(拍手)。佐賀のがばいばあちゃんに対抗して、さだのやばいじいちゃん(爆笑)。

12 献灯会 
13 精霊流し

〜MC〜
東京・中野の明治寺の榮應さんが、50歳の時に脳腫瘍でお亡くなりになった。その最後のお見舞いに行った時、法衣で正座をされ、観音経まで唱えてくれた。「家内安全」等の経を唱えることが多い中、「頑張れ頑張れさだまさし」と何度も何度も唱えてくれた。俺はもうすぐいなくなってしまうけど、お前はまだ逝っちゃだめだ。お前の歌を聴いて元気になる人たちのために、お前の曲を聴くために集まってくれる人たちのためにもっと元気で頑張らなきゃいけない、という気持ちが伝わってきた。

献灯会という曲を作った時に、奥様に歌詞に間違いがないか見てもらったら、立葵だけお寺にないことがわかり植えようとした。そこまでしなくてもわかりゃしないから、と言うと「さだファンを甘く見てはいけません」と言われた(笑)。実際、たくさんのファンが見に訪れたらしい。しばらくして、榮應さんんの供養塔の近くから植えもしない立葵が生えてきた。思い出は成長すると思う。生き残った者が、その人に対していろんな場面で話しかけていってあげることで、その人も成長していくと思う。

奥様から形見代わりにといただいたのは、榮應さんが使っていた懐中時計と同じもの。たまたま新品を見つけて購入してプレゼントしてくれた。自分は懐中時計を持ち歩く性格ではないが、こうやって一緒にステージ立っている(と言いながら、水等を置いているステージ上の机から懐中時計を手に取り客席に見せた)。今日はいつもよりトークが5分長い、とか言ってるんだろうな(笑)。

14 セロ弾きのゴーシュ
15 ONLY

〜MC〜
これが終わると30年ぶりに東大寺で歌う。以前は昭和大修理だったが、今回は光明皇后の1250年御遠忌記念。また、昨年の年末に国技館で年越しライヴやったが、結構良かった。今年もやりたかったが、初場所の関係で今年と来年は無理といわれて、再来年どうぞと言われた。そこで今年は名古屋、そして来年は大阪でやって、再来年国技館に戻ろうと思っている。

16 天然色の化石2006
17 修二会 
(第2部幕20時40分)

〜アンコール〜
(最初と同じく緞帳だけ開きステージには誰もいない。スクリーンにはアルバム・予感のジャケットに使われたものと同じ(と思われる)満開の桜が映し出されていた。しばらくしてピンクのジャケットに身をつつんださださんが登場し、そしてメンバーを呼んだ)

長い長いコンサート、あげくの果てにまたこうやって呼び出してくれてありがとう。元気で冬を迎えて下さい。また出来るだけ早い機会にお会いしましょう。

18 片恋 
(終奏20時49分)

演奏が終わっても緞帳は降りず、ギターを置いたさださんがステージ真ん中から右、そして左とそれぞれの場所で手を振りながら深々とお辞儀をし、最後は静かに去っていった。それと同時にメンバーがそれぞれの場所で手を振っている中、静かに緞帳が降りていき終演となった。

コンサートが終わって、いつもなら1時間ちょっとかけて自宅に帰るんですが、文頭にも書いたとおり、今回は近くに宿泊しますので、のんびり歩いてホテルに戻りビール飲みながらこのレポートを少しまとめました。まだ余韻の残っているうちにレポ書くっていうのもいいですね。さすがに一晩で書き上げられるものではなかったので途中で寝ましたが、良い余韻を味わうことが出来ました。

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