第2章 コンサート

松山市民会館でのコンサートは2年ぶり。愛媛県内では最も客席数や設備が充実しているであろう「ひめぎんホール」よりは古くて狭いのですが、客席は1999。場所も、ほぼ市内中心部に位置しているので駐車場には困りません(^^)。ひめぎんホールの場合、終了後駐車場出口で大混雑するのですが、市民会館はその心配もないので結構好きだったりします(^^)。

さて、今回のコンサート。コンサートそのものを楽しみにしているのはもちろんですが、それ以上に楽しみにしていたことがあります。さださんに、分校・お宝館の下方に載せているサインをもらったのが約1年前。その知人の方が再びその知人のHさんに仲介を依頼してくださって、なんと、今度はコンサート当日に会えることになってたんです。約束の時間に、事前に教えていただいていた番号に緊張しながら電話すると、いきなり「はい。さだまさしです」と声が! えっ、これ、さださんの携帯? と一瞬で緊張感が最高潮に達すると、「このまましばらくお待ちください」と。着ボイスでした(笑)。その後、無事Hさんとお話しでき、開場後にロビーでお会いすることに。ロビーで会ったHさんは、非常に気さくなお方で、「さださんには既に話を通してます。コンサート終わったらここで待ち合わせをして…」と約束して一旦別れました。

会場に入ると、ステージ両脇のスピーカーには「U−CAN」のカバーがしてあったものの、緞帳は会場のものをそのまま使用していました。1ベルが鳴って場内アナウンス。喋っているのは会場の女性だと思いますが、その内容が…。「なお、本日は1部構成となっておりますが、出演者本人の気分により…」と言っておりました(笑)。40周年コンサートの前夜祭、しゃべるDAYと銘打った歌わないコンサート、開始前から期待が高まります(^^)。

(開演17時3分)

第1部
静かにスクリーンが開くと、ステージ上の中央が少し高くなっており、その中央にマイクスタンドが2本。向かって右にギター、左に花が飾られており、ステージ上はほぼ白一色。ドラムやキーボードを配置しているいつものステージと違うことに一瞬とまどいながらも、「歌わないからいらないんだ」とあちらこちらから声が(笑)。確かに、と納得(^^)。そしてまっさん登場、拍手と共に中央へ移動して、さあオープニング曲は何かな、と思っていると、いきなりハンドマイク取って喋り始めた。さすがしゃべるDAY(笑)。

松山城の思い出といえば満開の桜。リフトが楽しくて2回も登った(笑)。40周年コンサートの前夜祭と後夜祭。今日は前夜祭しゃべるDAYで、明日は後夜祭歌うDAY。どっちが長くなるか(笑)、それは明日確認して欲しい。ちなみに、今日はギターは飾りです。目標は3曲(笑)。でも、目標というのは未だ達成されたことはない。2列目の双眼鏡…今日は許す(笑)、遅れてきた人に向かって「ここですよぉー」等、いつもの調子なのだが、なんだかいつもより楽しく話しているように見えたのは気のせいか。「まだあそこが空いてるから」と言いながら5列目くらいを指さし次また来たら案内しようと笑っていた姿は、いたずらっ子がはしゃいでるようでした。

自分はおばあちゃんっ子だったから、将来はおばあちゃんになりたいと思っていた。でも、おじいちゃんにしかなれないとわかってショックだった(笑)。おばあちゃんは、ロシアで、砂金で16万円稼いだ。今のお金で言うと16億円どころではないと思う。そのお金を持って、日本に戻ろうと思ったとき、砂金を小分けにしてスカートの下に巻き付けて、1つだけ大きな包みを旦那さんに持たせた。途中、義賊に襲われたが、命だけは助けてもらう代わりに、と全財産を、と言ってその1つだけの大きな包みを渡した。義賊は「約束は守ろう。さあ行け。」と言ったが、おばあちゃんは「ちょっと待ちなさい。命を助けるというなら、このまま無一文で私たちが港に行く間に、またあなたたちのような人に襲われたらどうするの」と言って、義賊に港まで送らせた(笑)。港に着いて、「さあもう行け」と言われると「このまま無一文でいくと飢え死にする」と言って、今度は包みの砂金の半分を返して貰った(笑)。そんな豪快なおばあちゃんだった。

おばあちゃんの話が終わる(開演後約15分経過)と、ギターの置いてある方向に歩いて行くから、会場から拍手。それを見て、あっ、水飲みに来ただけですよ、と言ってまた話始めた(笑)。

今年は厳密に言うと39周年。25周年の時に忘れてて(笑)、26年目に25周年やった。それから忘れちゃいけないってんで30周年は29年目にやった。だから25周年と30周年はその間3年しかなかった(笑)。それから、周年行事は数えでやるようになった。ホントは10月25日で、グレープがデビューしてから本当の40年目に入る。4月に精霊流しを出して5月には名古屋から売れ始めた。名古屋に新幹線で降りようとしたとき、たくさんの女性が待っていたので、どこかの外タレでも来ているのかと思ったが、自分たちを待っていると知ってびっくりした。それから、行くとこ行くとこ、そういう光景になった。あの黄色い声援送ってくれていたお嬢さんたちは今どこにいるんだろう、と言ったら、先日ある会場で「ここにおるでぇー」と返事があった(笑)。

1 線香花火(17時22分)

〜MC〜
演奏が終わると、若いスタッフが新しいギターを持ってステージ上へ。ステージの白に合わせて上から下まで真っ白な衣装で登場したため、少年院の運動会か、と(笑)。そのまま帰ろうとしたので、呼び止めてステージ中央へ。「彼女いるの?」「独身?」等と聞き、「ただいま独身で彼女募集中ですからよろしく」、とさださんが宣伝(笑)。

私は昔は天才だった。小学生のヴァイオリンの九州・山口大会で5年生の時に3位、6年生の時には2位になった。でも、何で山口が九州と一緒なんだ。5年生の時は2位が山口の女の子だった。6年生の時も優勝したのは山口の女の子。だから山口が嫌い(笑)。中学で東京に一人で出てきて、中3の時に受験に失敗した。音楽やりに東京出てきたのに、それで失敗してるんだから、ほんまにアホです。でも、親友のノリちゃんと出会い、加山雄三の「君といつまでも」と同じフレーズで曲を作って披露したらとても喜んでもらえた。あの経験がなかったら、今の自分はなかったかもしれない。

学生時代は、友人が失恋するとインタビューして、そしてそいつのために曲を作って慰めた。連載小説を書いたり、落語もやった。小説は友人に好評で続きが気になる友人に「来週には」と言ったのに「今すぐ書け」と言われ、土曜の昼から友人たちがサッカーをして遊んでいる間に続きを完成して、それを読んで満足して帰って行ったりもした。今思えば、あの頃も今もやってることは変わらないな、と。お前、中学の頃とちっとも変わらないな、と友達に言われることがあるけど、それってほめ言葉なんだ、と理解してます。

さて、今日は9月22日。今日誕生日の人は…というと、最前列から拍手。じゃあ、明日の人、9月の人、誕生日のある人(笑)に次の曲を。
(右の写真はコンサートとは関係ありません。2006年に夢ツアー仲間が祝ってくれた、ちょっと変わった誕生パーティ(どこが?という人はこちらへ)でのケーキです。)

2 Birthday(17時42分)

〜MC〜
友人の誕生日を忘れない人に悪い人はいない。以前は、すべて歌にしていたから大変だったけど、小説をかくようになってから、小説のテーマと歌のテーマを振り分けられるようになったから曲作りも楽になった。

奈良県にある和菓子屋さんの和菓子は妖精が作っているかと思うくらいとてもおいしい。最近はどこに行っても同じ物を食べることが出来るようになった。生活コストも下がってきているけど、本当にそれでいいんだろうか。

死ぬときには埋蔵品を残したい。掘り起こしてみるとCDが入っていて、かけてみると「いい曲が入ってるじゃないか」というような(笑)。ずっと話してたらくたびれたので、次の曲が終わったら休憩。広田と井上(虎キチ@愛媛注:さださんのマネージャーです)のストラップがちっとも売れない(笑)ので、ショップ覗いてみてください。

3 親父の一番長い日(18時5分)

(第1部終演18時15分)

第2部
4 長崎小夜曲
(18時34分)

〜MC〜
さだまさしは話も長いけど歌も長いとよく言われる。1部の最後に歌った「親父の一番長い日」なんて12分30秒もあるから、かけてくれる番組なんてなかった。でもあるラジオ番組でかけた。しかも10分番組(笑)。どうやったのかと聞くと、今日は1番、明日は2番、という感じでかけたそうです。

ここで、次の曲の準備か、「2カポ持ってきて」とスタッフを呼ぶと、先ほどの若いスタッフが再登場。今度はコックさんのスタイルで、お盆にポンジュースとコップを2つのせてきたため、ステージ上で二人で乾杯(笑)。「いや、そうじゃなくてギター」と言って、新しいギターを手渡してもらう。

5 いのちの理由(18時51分)

〜MC〜
 この歌は浄土宗、法然のイメージソングを書いてくれと頼まれて作った歌。うちは浄土真宗なんですが、似たようなものだと言われ(笑)、作った。被災地を回って歌を歌っているけど、この歌をリクエストされることがある。海を恨んでない、むしろ海を愛しているんだと教えてもらった。人はどんなにつらいことがあっても笑えるんだな、と。泣いたり笑ったりすると、心が動く。心が動けば何かが動くきっかけになることもある。僕は、こういう時のために「さだまさし」になったんだな、と教わった。出来ることは少しだけど、少しはある。我々の仕事は、これを伝えること。

ここで、妖怪かっとびじじいの話。こんな時でもないと喋れないから、と。

6 かすていら(19時30分)

〜MC〜
 このTシャツ(2部で着ているTシャツ)は、生さだでおなじみの小針画伯に書いてもらった世界に1枚しかないTシャツ。春夏秋冬で計4枚書いてくれたんだけど、東京タワーとスカイツリーを一緒の高さに書いて、下の方に眼鏡橋まで書いてくれてる。でもこれって、いつの季節の絵なんですかね(笑)。

中学生の頃、おじさんに連れられて中山競馬場によく行っていたが、往きは電車だったのに、帰りは歩きが多かった(笑)。なぜなの、と聞いたら「世間の厳しさを教えている」と言われた(笑)。父もお金には恵まれない人だったけど、息子には恵まれた(笑)。長崎に帰ろうかという時に、友人にだまされ、仕事をしても給料がもらえない。「明日は払うから」と言われて次の日の仕事が終わって「明日は払うから」とまたもらえなかった。翌日、「今日はお金もらって帰るから、東京駅で待っていなさい」と言われ、一人で東京駅に行った。父を待っていたが、結局現れなかった。

しかし、無一文で急行・雲仙号に乗ってしまった。雲仙号は東京−長崎間を23時間57分で結ぶ急行で、長崎に帰るときはいつも利用していた。その列車に乗り込んでしまい、ついに発車してしまった。でも、次の横浜で降りて引き返せばいいか、と思ってた。本当はこれも立派なキセルなんだけど、当時中学生だった自分にとって、そんなに大きな問題として認識していなかった。そしたら、横浜までの間に車掌さんが検札に来てしまった。

切符なんて持ってないけど、探す振りして焦っていると、「どうしたの」と聞かれ「ないんです」と答えた。嘘は言ってない、最初からないんだから(笑)。前に座っていた大学生のお兄さんが、「財布は」と聞いてくれたけど、「それも…」と、嘘は言ってない(笑)。「誰かに盗られたんだよ、どこまで行くの」と聞かれ、「長崎です」と答えると、お兄さんも同じ長崎。同郷の中学生だとわかると、「じゃあ僕が貸してあげる。長崎に着いてから返してくれたらいいよ。」と言って切符を買ってくれた。それからお兄さんは、昼食や夕食を「君、お金持ってないだろ」と言いながら買ってくれた。「君、嘘ついてただろ」と言われるのが怖くてお兄さんの顔をまっすぐ見ることが出来なかった。

長崎に着いて、駅でお礼を言って別れて、しばらくすると後ろから「おーい」と言いながらお兄さんが追いかけてきた。「ばれた」と思ったが、お兄さんは「君、電車代持ってないだろ。さっきの電車代は君に貸したけど、これは貸すんじゃない。君にあげる。」と言って、断る僕の手に100円玉を握りしめて帰って行った。さすがにこの時だけは涙が止まらなかった。家に帰って事情を話して、その日のうちにお金を返しに行った。

こんな凄いことをしたのが、大学生のお兄さん。当時はそんな大学生がたくさんいた。この話を時々するのは、あのお兄さんに会ってお礼を言いたいからなんだけど、まだ「それは私です」と言って名乗り出てもらったことがない。まさか、あの貧乏中学生が、さだまさしになってるなんて、思ってもいないんだろうな。

明日は話すことはありませんよ(笑)。

7  
(2幕20時4分)

〜アンコール〜
ステージ上には、多数の風船の木(をイメージしているんだと思います)。真っ白のステージに風船の様々な色が映えて見えます。

あるコンサートでトークが終わって歌い始めると最前列からトイレに行こうとした人がいた。さすがにびっくりして、曲を止めてその人に「なぜこのタイミングで行くんだ」と聞いたら「歌はCDで聴きますから」と言われた(笑)。その時から、絶対に歌わないコンサートをしてやる、と心に決めた(笑)。だから、こんなに歌っちゃダメなんだ。明日は音楽だけのさだまさし、今日以上に疲れるよ(笑)。普段何気なく聴いているいつものコンサートが、いかに贅沢なものであったかを、わかってもらえると思う。

8 虹〜ヒーロー〜
演奏が終わった後、客席から誰かを捜すように見渡し、2列目にいた女の子を指さし、ステージ上にあった風船を一つ手渡す。そのあと、いつものにこやかな笑顔で両手を振りながら去っていく。
(終演20時15分)

さて、コンサートは終わりましたが、最初に書いたように、今回はコンサート以上の楽しみが待っています。コンサートが終わってHさんとロビーで待ち合わせ。そのまま関係者以外立ち入り禁止の文字のあるドアを通過(Hさん、「関係者」と書かれた札を首にかけておりました。凄ぉーい、と感動していると、その裏面はさださんの直筆で「この人危険につき、触らないで」と(笑)。ちなみに奥様の札も拝見しましたが「大切に扱ってください」だって。さださんらしい洒落の効いたコメントです(^^)。)して、楽屋方面へ。さすがに楽屋には入れませんでしたが、すぐ横の通路でこの日着ていた35周年Tシャツにサイン(他のサインはHさんを通して事前に渡していただいており、既にサインしてくださってました(^^))をいただき、写真も一緒に撮っていただきました(^^)v

下の写真の左から、定番の色紙、35周年Tシャツへのサイン。そしてヴァイオリン(ビオラ?チェロ?その違いはわかりません(^^;)が、さださんといえばヴァイオリンですので、これにしてもらいました。)。10年以上前に太宰府に行った時に、近くのお店で偶然見つけて購入し、とりあえず家に飾ってたのですが、今回さださんのサイン入りとなったことにより貴重品に昇格(笑)。高さ約30センチで電池入れれば何曲か音楽は流れるようですが、10年以上前のものなので既に壊れてます(^^;)。昇格記念に、以前は2階の棚の中にひっそりと飾られていたものを、1階リビングに移動しました(^^)。そして右端。7月に甲子園に行った際に球場横の素盞嗚(すさのお)神社にも行った(詳細はこちらの下方を見てください)のですが、その時にはまだ具体化してないものの、知人から話をいただいていましたので、ひょっとしたら会えるかも、と考え絵馬を購入しておりました。高校3年生の担任してますが、うちの子たちですから、阪神とさだまさしが守り神につけば完璧やろ、ということで(^^)。後日教室に飾ると、柏手打ってお祈りしている生徒もいました(笑)。受験に向けて大きな味方を手に入れた気分です(^^)。がんばれ、新東3の8!

      

さださんとの至福の時間を過ごした後、関係者出口に案内され、そちらから出て行きました。この日は朝から曇ってて、開始前は降ってはいなかったのですが、終演後は雨が降ってましたので、当たり前ですが傘を差して移動。そうすると、前から見ると誰が来てるかわかりづらいですよね。出待ちしているファンの方々から、「誰が出てきた?」みたいな感じで何度ものぞき込まれました(笑)。ファンの皆様、お騒がせしましたm(_ _)m

そこから駐車場まで移動、車中では聴き足りなかった曲を聴きながら帰路に着きました。翌日は後夜祭です(^^)。

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