「長崎から」に思う

 

さだまさしファンの方へ

当ページでは「長崎から」に対する虎キチ@愛媛の思うところを隠さず
書いています。ただ、さだファンが読むと少しムっとすることがあるかも
しれません。気分を害すると思われた方はただちに退出してください。
尚、ご意見等は随時メールにて伺います。

これを書いているのは2002年8月5日。そう、16回目の「長崎から」を翌日に控えた日である。ある意味さだまさしの最大のイベント、「広島に原爆の落ちた日に長崎で歌う」という「わかる人にはわかる」コンサート。それには虎キチ@愛媛は参加しない。趣旨に反対しているわけではない、むしろ賛成派、出来ることなら毎年でも参加したい、でも参加しない。それは10年前に1度、参加したことがあるから...。あれから10年経った今、なんとなく思うことを綴ってみます。

1992年8月6日、「1992 夏・長崎から 〜雲仙へ〜」に参加した。メインゲストは都はるみ、小田和正。そして他のゲストとして佐田玲子はじめ、いまむら瞭、姫野真也、135、TSU-BA-SA。当時の「長崎から」では恒例であった西尾巧美、西村知美(当時はまだ二人は結婚してませんでした)らも参加していました。虎キチ@愛媛が2度と参加したくないと思ったのは、これらのゲストの歌の時でした。失礼ながら、名前も歌も知らない歌手の方もいました。でも、さださんの趣旨に賛同しボランティアでこのコンサートに参加してくださった方々なのです。その人たちに対して、あまりにも観客の態度は許されないものだったと思います。

ステージで歌っている人の声が聞こえない、というと言い過ぎかもしれませんが、それに近い状況。あっちこっちから話し声が聞こえてきてとても不愉快でした。野外コンサートなんだからそういう雰囲気があってもよいのではないか、という考えもあると思いますが、さださんや都はるみ、小田和正が歌う時は静まって聞いているのに、他の方々が歌うときだけ雰囲気が一変する。その方々にとってみたら、それは決していい気分ではなかったと思います。

また、会場には当日15時頃着いたのですが既に長蛇の列。中には何日も前から並んでいる人もいるとか。「○○さだまさし研究会」等と書いた幟を持って並んで、後から来た何人もの人がそこに一緒に並んだり、会場に入って我先にと走り広い場所を占領したり、そういう話も聞きます。また、何日も並んでいる間のゴミであるとか夜間の話し声など、近所への迷惑を考えない行動等々...。このコンサートの趣旨がわかっているんだろうか?自分たちさえ楽しければそれでいい、という考えに気づいているんだろうか?

そんなことを考えると、もうあの光景を目にするのは耐えられません。30回以上行ったコンサートの中で一番最悪の、そして唯一楽しいと感じられなかったコンサート。今年もテレビの前で、その裏の悲しい光景が目に映らない場所でさださんとステージに上がる人々を応援していこうと思います。

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