小林繁
空白の1日。プロ野球ドラフト制度を語る上で必ず出てくる言葉。現在のような逆指名制度が存在せず、選手はすべてをくじに頼らざるを得なかった。
法政大学で一世を風靡した江川卓投手は、とある紳士球団(笑)入りを熱望していた。が、前年度のドラフトで、クラウン(現西武)が交渉権を獲得し、江川は入団を拒んだ。手続き上の関係から、翌年のドラフトの前日までは、前年度指名球団(この場合はクラウン)に交渉権があるのだが、ドラフトの前日にはその交渉権を逸する。次の交渉権はその翌日に実施されるドラフトで決まる、この盲点をついて、紳士球団はその空白の1日に江川の入団発表を行った。なんだか我が儘な子供みたい…。今もなんとかっていう監督(笑)がFAや外人や新人に大金ばらまいて集め回っているけど、球団の体質なのかな?
当然このような冒涜行為が認められるはずもなく、翌日のドラフトで江川の交渉権を獲得した阪神に一旦入団、その後すぐに紳士球団にトレードという形で、強引な結末を迎えることとなった。まあ、我がタイガースも大阪商人風ビジネスをずるがしこく行った、と言えなくもないのであんまり大きな声で批判できないけど…。現在、このような形でのトレードは禁止されている。
このトレードの犠牲となったのが小林繁投手である。ここまで3年連続で2桁勝利をあげるなど、チームの中心として活躍していた彼にとって、突然のトレードは、球団に裏切られた、というイメージしか残らなかっただろう。彼は翌年の’79年、そのくやしさをばねに22勝をあげ最多勝を獲得し、沢村賞、ベストナインに選出された。特に紳士球団相手には8勝0敗と無敵であった。その後引退する’83年までの5年間、常に2桁勝利をあげ、阪神のエースとして大活躍した偉大なるサブマリンであった。。
通算374試合に登板。139勝(うち完封勝利19)95敗17セーブ。
投球回数2029回で、1273奪三振、防御率3.18。
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