観客動員数
21年振りの優勝を果たした’85年に初めて200万人を突破し、2,546,000人の観客動員数を数える。この年の応援は特に熱狂的で、単純に考えるとこの年の観客動員が史上最高のように思われがちだが、実はこの年を上回る3年間が存在する。
それは’92年から’94年までの3年間で、この3年間はいずれも270万人を突破している。6年間続いた中村勝広監督の3年目から5年目の指揮にあたる年で、最も観客動員数が多かったのは3年目の1992年で、その数は2,853,000人であった。彗星のごとく登場した亀山努&新庄剛志ら若手の台頭で、シーズン最終戦までヤクルトと優勝を争い、惜しくも涙を飲んだ。
ヘッドスライディングで颯爽とデビューを飾った亀山はシーズンを通して活躍しゴールデングラブ賞を獲得したが、怪我と遅刻癖に泣き、実勤はほぼこの1年のみであった。新庄も翌’93年にはベストナイン&ゴールデングラブ賞を獲得し、長打力、足、そして肩を備え持つスーパープレーヤーに、と期待されているが’94年、’96年、’97年、’98年とゴールデングラブ賞を獲得し、その守備力こそ超一流と認められているが、打力が伸び悩んでいたが、FA資格取得後に数億円とも言われた阪神との契約ではなく1000万程度の大リーグ行きを選んだ。お金より夢を選び、それなりの成績はあげた。
時は流れて2003年、18年振りの優勝となったこの年、観客動員も初の300万人突破したが、20世紀最高は優勝した1985年ではなく1992年でした。
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