3割8分9厘

神様、仏様、バース様。当時、ファンは彼のことをこういう賞賛の言葉で表現した。

1985年に打率350、54本塁打、134打点。最高出塁率(.428)および最多勝利打点(22)のタイトルも獲得し、1塁手でベストナインに選出されている。また21年ぶりの優勝に貢献し、文句なくMVPに選出されている。本塁打日本記録55本を破るチャンスは十分あったが、後半戦は試合を左右する場面以外での敬遠が増え、記録達成はならなかった。当時の巨人は本塁打年間記録保持者の王監督が指揮をとっていた…。大リーグでのマグワイアvsソーサの対決のように、投手が真っ向から挑んできてくれていれば、おそらく大記録が誕生していたであろう。

そして、翌1986年にシーズン打率の日本記録をつくることになる。そればかりか、打率389、47本塁打、109打点で2年連続の三冠王を獲得した。.481という全打席の半分に近い驚異的な出塁率を誇り、最高出塁率も獲得。当然ベストナインにも選出されている。

’88年のシーズン途中、息子の手術のための帰国を巡って球団が一方的に契約を解除。それがなければまだまだ働けていた、間違いなく史上最強の助っ人である。背番号44を永久欠番にしてもいいんじゃないの?

通算614試合に出場。2208打数743安打。
打率337、202本塁打、486打点、5盗塁。

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