田淵幸一

1969年法政大学からドラフト1位で入団。本人は巨人入りを熱望していたが、阪神側の説得により入団にこぎつける。1年目よりレギュラーとして活躍し、打率こそ226と低かったが、天性の遠くへ飛ばす技術は大学野球からプロへ変わっても健在。22本塁打で新人王を獲得。

1972年から5年連続ベストナイン、’73年、’74年はダイヤモンドグラブ賞も受賞した。1975年には43本塁打を放ち、巨人、王の本塁打王の連続記録をストップさせ、見事本塁打王に輝いている。活躍期が王氏とほぼ同じであったため、結果的に本塁打王は1度だけとなってしまったが、彼のホームランは非常に滞空時間が長く独特のアーチを描いており、天才的長距離打者であった。

1978年のオフのある日、突然西武ライオンズへの移籍を宣告された。掛布が育ってきてた時期であり、2人のヒーローがいらないのか、と当時は物議をかもした。大打者あるいは大投手と呼ばれる選手が2人いると、どちらかがトレードされる、という悪しき伝統(?)が守られた形となり、タイガースを去った。

通算1739試合に出場。5881打数1532安打。
打率260、474本塁打、1135打点、18盗塁。

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