村山実

ザトペック投法の異名をとる全身を使った投法で、特に巨人の王、長嶋に正面から勝負を挑んでいった。1970年からの兼任監督時代には、巨人戦には常に登板準備をしており、先発、リリーフにと大車輪の活躍をした。また、1959年6月25日の後楽園球場における対巨人戦の天覧試合でリリーフとして登板、長嶋にサヨナラアーチを打たれたことはあまりにも有名。悲劇のヒーローとして語られることが多いが、その実績はすばらしい、の一言に尽きる。

1959年防御率1.19で最優秀防御率及び沢村賞受賞したのを皮切りに、1962年には防御率1.20で最優秀防御率及びMVP獲得。圧巻は1965、66年で、2年連続20勝以上(25勝13敗、24勝9敗)をあげ、沢村賞を連続受賞した。そして、1970年に防御率0.98という不滅の大記録を打ち立てた。その背番号11は永久欠番である。

通算509試合に登板。222勝(うち完封勝利55)147敗。
投球回数3050回で、2271奪三振、防御率2.09。

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