プロ入り〜涙の初勝利まで
入団1年目こそ2軍での体力づくりに専念したが、2年目は開幕1軍入り。そしてプロ初登板は意外にも早く訪れる。FA入団の星野伸が2回で5失点、1−5のビハインドの3回からマウンドへ。佐伯、進藤、谷繁を3者凡退に、3人目の打者・谷繁からはプロ入り初の奪三振を記録しました。続く4回には波留に初安打を許すなど1安打2四球で2アウト満塁まで攻め込まれましたが駒田をレフトフライにしとめ2回を無失点に。
開幕戦登板の自信から開花するかと思いきや、結局2000年シーズンは19試合すべてを中継ぎで登板し勝敗はつかず。22回2/3を投げ被安打25(うち1本塁打)、22四死球、25奪三振で防御率4.76。高卒2年目のルーキーとしてはまずまずの成績を残しましたが、3年目は故障に泣き1軍登板なし。期待されドラ1で入団した背番号30も剥奪、92となって心機一転、故障も癒えた4年目。が、2002年も開幕2軍...。
チャンスを信じ2軍で好投を続け、その活躍が認められ夏に1軍昇格。7月21日にプロ入り初先発(バースデー登板)、4回を投げて被安打3の2失点、5奪三振を奪うも勝敗はつかなかった。それ以来、ローテーションの一角として登板。ただし、右のエース・藪の故障により巡ってきたチャンスであり、星野監督も次年度以降のステップにしよう、という気持ちが強かったようである。
8月3日のヤクルト戦では6回まで被安打4の完封、中継ぎに後を託すが中継ぎが打ち込まれて初星が逃げた。8月中旬から下旬にかけて6回投球数100球前後までは好投するが突如乱れる、というスタミナのなさを3試合連続で暴露。打線も故障者続きで、開幕スタメンが1人しかメンバーに連ねない試合もあった、という時期での登板という不運もあったが、8度目の先発となる9月5日の広島戦を終えて0勝3敗。プロ初勝利はあまりにも遠く険しかった...。
そして迎えた9月11日ヤクルト戦。自身9度目の先発は、真中に先頭打者ホームランを浴びるも以後立ち直り、2回に四球を与えたあとは8回までパーフェクトピッチング。8回を被安打1の1四球、内野ゴロ9、内野フライ2、外野フライ、そして自己最多タイの8奪三振。魂を込めた109球だった。9回にアリアスの27号で4−1とし、9回を守護神・バルデスに託した。そのバルデスが打ち込まれ1点差まで詰め寄られたが4−3でゲームセット。ついにプロ入り初勝利です\(^O^)/
ヒーローインタビューでは、涙をこらえきれず、ふいてもふいても、あふれ出る涙が止まらなかった。「勝った瞬間は…家族の顔が浮かびました。ボールは嫁さんにあげます。苦労したのを支えてくれましたから」というセリフが泣かせます。落ち着いてから「1日も早く、エースと呼ばれるピッチャーになりたい」という頼もしいコメント。結局2002年はこの1勝のみ、1勝5敗防御率3.71。68回を投げて64奪三振は見事だが、四死球32を減らすこととスタミナをつけることが、エースと呼ばれるためのポイントの1つとなるでしょう。
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