阪神入団まで

1980年(昭和55年)7月21日、高知県生まれ。1メートル83、73キロ、右投げ左打ち(体型データは入団時のもの)。

平成9年夏、市商の当時2年生であった球児は、藤川順一(兄)との兄弟バッテリーで話題となり、高知県大会準決勝で2年生エース土居(現横浜)を擁する高知高校を3−2、決勝では2年生エース寺本四郎(現千葉ロッテ)から藤川兄が8回に決勝ソロを放ち1−0で明徳義塾を下し、甲子園出場を決めた。甲子園の初戦は旭川大高と対戦。市商はエース籠尾(3年)が先発したが、4回から球児が登板、甲子園での兄弟バッテリーが実現、6−3で初戦突破を果たした。2回戦は川口知哉(現オリックス)擁する平安と対戦。この試合は球児が先発するが、川口に2安打完封に抑え込まれ0−5で敗れ去り球児の夏が終わったが、甲子園通算で14回18奪三振の好投で注目を浴びる。翌年、3年生として出場を目指したが県大会ベスト4止まり、明徳義塾・寺本に雪辱された。その寺本が、あの松坂大介擁する横浜高校と球史に残る名勝負(7回0−6から横浜が逆転)を演じたわけであるが、球児擁する市商が出場していたなら、歴史はどう変わっていただろうか?

平成11年ドラフト1位で阪神入団し、当時トップアイドルであった広末涼子と高知城北中学時代に同級生だったことで注目を浴びる。阪神入りが決まったとき、その広末涼子から「藤川くんの夢が叶って、自分のことのように嬉しく思っています」というコメントまでもらった。「西武・松坂くんが200勝を目指すなら、僕は201勝を目指す」とコメントしたり、入団発表の席で、野村監督(当時)に話術を誉められたりと、野球以外のところでの注目度が高かったが、その力は徐々に開花していった。

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