第2章 コンサート

直前まで日帰りするか泊まるか悩んでいたのだけれど、車で行って駐車料金取られること考えれば、安く泊まれるなら、と探してると会場近くに安く泊まれるホテルを発見。どうせ寝るだけだから、と思って予約したのが3日前。当日の昼は讃岐うどんだ、と決めてましたのでそれに間に合うように出発。高松でも何軒か行ったことはあるのですが、結局行ったのは豊浜SA。いや、実はここ、結構穴場でおいしいんですよ(^^)。ぶったまうどんがお勧めです(^^)。

うどんを食べて再び高速を走らせ高松中央ICを降りたのは14時過ぎ。15時のチェックインまで本屋ででも少し時間つぶせばいいか、と思っていたらチェックイン16時でした(^^;)。温玉ぶっかけは意外に腹に残り、高松でもう一軒、という作戦は決行できなかったため、高松市内をドライブしながら時間つぶすのに苦労しましたが無事チェックイン完了。まあ、値段相応の部屋というか(^^;)。まっ、寝るだけですからね(^^)。

土曜日ということで17時開演でしたから、16時半にはホテルを出て歩いて会場に向かいました。歩いて10分ほどの距離ですからね、だからこのホテルにしたんですから。で、会場に向かう途中で向こうから何やら見覚えのある方が...。京都産業大学の入試広報の先生でした。何度かお会いしていて顔なじみになっていたので、少しお話(あちらはコンサートではなくお仕事で高松に来ていたようです)をしてから会場入りしました(^^)。知らない町で知人に会うと、何だかほっとしますね(^^)。

さて、会場に入ると3階席まであって思ったより広かった。18年前に来てるはずなんだけどなぁ。やっぱり記憶にないや(^^;)。帰って客席数調べると2001席あったから、ひめぎんホール(愛媛県民文化会館)よりは狭いけどそこそこのもの。緞帳にはNEWアルバム・SadaCityのジャケット画を使用しており、会場が暗くなると緞帳を通してステージがうっすらと見えました。
(開演17時7分)

1 桜の樹の下で(緞帳が降りたまま始まり、少しして緞帳が開く。ステージはSadaCityのジャケット画を立体化したもの。左奥に時計台、中央やや左奥に階段状の橋があり、右奥には図書館やプラネタリウムと思われる建物が数棟。3列目からじゃはっきり見えず、今回だけは2階席が良かったかも、と思いつつコンサートはスタートしました)
2 古い時計台の歌

〜MC〜
曲が終わってトークのために前に出てくると、手を振りまくる客席にしっかり手を振り返すまっさん。遅れて来た人たちに「いらっしゃいませ、いらっしゃいませ。どうぞゆっくりお席をお探し下さい」といつもの言葉。そこに手を振りながら入ってくるお客さんがいたもんだから、「手を振る暇があったら早く席探して下さい」と笑いをとる。

年明けから曲作りを始めていたが、3月11日の東日本大震災があって1か月くらい完成が遅れてしまった。地震の時は地下3階にいたが、地上に出て東京タワーが揺れているのを目撃した。

今日も日の出製麺所でうどんを食べてきた。一昨年は6玉食べて声が出なかった(笑)ので、去年は5玉にした。でも、それでも最後の3曲くらいしんどかったので、今年は6玉(笑)。徳島の友人がすだちを持ってきてくれて、うどんにすだち。最高でした。

自分と同じ4月10日の誕生日の人は木村佳乃さんや堂本剛君などがいる。一度木村さんから「子供の頃からさださんと同じ誕生日だということが自慢でした」と言われたことがある。木村さんが子供の頃からというところに年の差を感じる(笑)。あと、同じ誕生日に和田あき子さんもいる。最近誕生日の数日前になると「さだ君、誕生日の日開いてる?」と聞かれることが多いので、出来るだけ仕事を入れることにしている(笑)。

3 Birthday
4 道化師のソネット

〜MC〜
昨日は兵庫で佐渡裕さんと「さどまさし」というチーム(笑)で復興コンサートをやってきた。帰りに募金お集めてたら「明日も行きます」って言ってくれた人がたくさんいたから...とここで最前列の人が手をたたく。まっさん、それをめざとく見つけ、「あっ、それ、昨日と同じTシャツ」とちゃっかり笑いをとってました。震災の翌日佐渡さんから電話があり、音楽家は無力だ、と話した。でも、必ず音楽の力が必要になるから、と言った日が昨日だった。中に入りきれず外でも1000人ほどが映像を見て応援してくれた1日だった。

Birthdayという歌は、気仙沼で作った歌だから、5月に気仙沼へ恩返しに鶴瓶と一緒に行ってきた。行くとこ行くとこ、みんな笑って迎えてくれる。日本人の笑顔って思いやりの心なんだと改めて感じた。歌うためのマイクは一本しかなくて、ギター持つとマイクが持てない。そこでマネージャーがしゃがんでマイクを向けた。譜面代なんてないから、パイプ椅子に立てて歌った。日本には黒子という文化があって、そういうものはお客さん、見えないんですね。気仙沼、大船渡等、分刻みのスケジュールだったし、くたびれたけど、何か別の元気もらったような気がした。

また、親友に誘われて8月にも宮古や山田町、大槌町等へ行ってきた。そこでもコンサートになったんだけど、最前列にいた小さい男の子なんて聞いちゃいない(笑)。うろちょろうろちょ走り回っている(笑)。でも、そういう雰囲気、好きだなぁ。ところが、いつものように「北の国から」をみんなで歌いましょう、というとみんなが一斉に歌い出したので、驚いて後ろを振り返った。何でみんなこの歌知っているんだろう、ひょっとしてこの人は有名な人なのか、と思ったのか、それ以降、私を尊敬のまなざしで見るようになった(笑)。

5 長崎BREEZE 
6 雨の夜と淋しい午後は 

〜MC〜
世界最小の管弦楽団と、メンバーたちを紹介。

7 北の国から 

〜MC〜
パーカッションのキムチ(虎キチ@愛媛注:木村の愛称)は、ジャムおじさん、というか北京の遊園地のドラえもんのようだ(笑)。今日のコンサートは通算3878回目のコンサート。こうやって歌っているのは、旅芸人みたいなもので、いろんなところで友人が待っていてくれて、そのたびに酒を飲む。日本中がふるさとのようなものだ。

東日本大震災で一番役に立ったメディアはミニFMだったらしい。地域の最新の情報が即座にわかるし、ラジオというのはテレビのように画面を見ている必要がないから、何かをしながらでも聞くことが出来る。だから、そんな番組がテレビで出来ないか(笑)、と思って始めたのが生さだだった。深夜に生でする、っていうのが大切。一人暮らしししていると、一緒に起きていてくれる人がいる、というだけで安心できる。

8 案山子 
9 バンプキンパイとシナモンティー
(1番サビの部分から、コックの衣装に身をつつんだキムチが後ろで踊る)

〜MC〜
オールナイトニッポンとセイヤングがニッポン放送と文化放送でリレー番組をやっていたが、1月29日と30日にそのスペシャルコンサートを南こうせつ、泉谷しげる、谷村新司と一緒に行った。自分の担当は30日にこうせつさんと、であったがその前日が金沢での生さだ。サッカーのアジアカップ決勝の時間帯と重なって「どうせ誰も見てないだろう」と言ったら抗議がたくさん来た(笑)あの日。その時に、3時50分までには着けばいいから、と言っちゃった、1時からリハがあるのに(笑)。でも、神様は聞いているんですね。

小松空港には自衛隊の駐屯地もあるから、雪くらいで飛行機飛ばないことはない、と高をくくってた。だって、有事の時に雪で出られないと困るから。でも、確かに飛ぶことは出来るんだけど、降りることが出来ないことがある。マネージャーから「まさしさんの乗る予定の飛行機、降りられなくてそのまま東京に引き返しちゃいました」(笑)と言われ、焦った。何とか東京に行かなきゃ、と考え米原までタクシー使って高速走って、そこから新幹線に乗り込めば、と思い決行した。我々が高速降りて30分もしたら高速も通行止めになっちゃったから、素早い決断が功を奏しました。

新幹線で名古屋が近づくと駅弁の「とり御飯」が食べたくなってきた。マネージャーに買ってこれるか、と聞くと停車時間が1分しかないので難しいと言われ考えた。名古屋といえば東海ラジオ。そこには旧知の仲である田中がいる。そうだ、田中に買ってこらせよう、と思って電話して買ってきてもらった。名古屋に着くと名古屋は吹雪(笑)。田中は吹雪の中、ホームに立っていて無事「とり御飯」をいただいた。それを弟に話したら、「ばか。奴は営業局次長だぞ。偉い奴に何頼んでんだ」って怒られた。

そのことをこうせつさんに言うと、こうせつさんはそれをオンエアーで話しちゃった。そうすると、東海ラジオに問い合わせが殺到(笑)。合い言葉は「東海ラジオ」「田中」「とり御飯」(笑)。中には、「お取り寄せ出来ませんか」って(笑)。

オンエアの翌月が名古屋でコンサート。ステージ横に田中が来ておりステージに呼ぶと随分盛り上がった。聞くと、田中はその日は夜勤明けで子供たちと行列の出来るラーメン屋に1時間近く並んでてもうすぐ自分たちの順番が来る、という時だったらしい。ラーメンよりさだを選んだ田中は子供たちには駅でトンカツ食わせて、その間に買ってきてくれたらしい。悪かったなぁ、と言うと、「さださんが飛び立つ予定だった小松空港が閉鎖されたのを知って、新幹線で来るな、と思ったって。で、そうなると「とり御飯」を食べたくなるんではないか、だとすると自分に連絡があるんではないか、と予想してた」と。偉くなる奴は違うなぁ、と思った。営業局次長なんだから、部下に頼めばいいのに、自分で買ってくる。あいつは将来きっと社長になるだろうな。社長になると頼みづらいな。でも、1度くらいいかな(笑)。あいつ、それでも買ってくるんだろうな。

さだ企画は、あまりにも悪いっていうんで、ステーキを田中宛に送った。子供たちは大喜びだったようだけど、子供たちは既にラーメンがトンカツに変わってる。それがステーキに、とわらしべ長者みたいだ(笑)。今年はこのトークで日本中回ってる。実は高松を舞台にした面白いネタもあるんだけど、今は言えない。時期が来たら話すから、高松爆笑編を期待しておいて欲しい(笑)。

※右上画像は駅弁資料館よりお借りしています。「とり御飯」の詳細はもちろんのこと、日本中の駅弁紹介満喫のページです。

10 美術館
11 プラネタリウム
12 図書館にて

〜MC〜
トークが始まると、スタッフがギターを交換するためステージへ。そうすると、スタッフの○○(メモし忘れましたm(_ _)m)です、とまっさんが紹介し、二人はステージ中央で正座してあいさつ(笑)。

戦争で生き残った親父は、そのことで運をすべて使い果たしたのではないかと思うくらい、その後の人生で失敗続きであったが、息子に恵まれた(笑)。来年には、その父のことを小説にしたいと思っている(拍手)。最後を悪くしてなかなか自由に歩けなくなってきていたが、来てくれたコンサートで「ようやく歌にお前が追いついたな」と言ってくれたことがある。入院して医者から「今日は無理だと思う」と言われて急いでかけつけたが、5〜6時間と言われてたのに16時間も頑張ってくれて、みんなが集まるのを待ってくれているのかと思った。最後まであきらめるな、という強いメッセージを感じた。

13 強い夢は叶う 

〜MC〜
この歌はプロゴルファー・石川遼君の応援歌を作ると言って始めた曲だったけど、あんなことがあって、頑張っている人みんなへの応援歌となった。

小さい頃はおばあちゃんっ子で、「大きくなったらおばあちゃんになる」(笑)と本気で思ってたけど、ある時無理だとわかった。年を取るとそれまで出来ていたことが出来なくなるけれど、それでもまだまだ毎日積み重ねると上手くなれることがたくさんあると思って頑張っている。来年は39〜40周年の記念コンサートがスタートする。各街を2日ずつ回るコンサートにしようと思っている(拍手)。1日目はほとんど歌わない(笑)、トーク中心のコンサート。2日目はその逆で、ほとんど喋らない。今一番心配なのは、2日目のチケットばかり売れ残ったらどうしようか、と(笑)。

人間の完成品はおばあちゃんだと思う。男はいつまでたっても完成しない。夫婦揃って年取って、おばあちゃんが先に逝っちゃうと、おじいちゃんは後を追うように2〜3年で逝っちゃうことが多い。でも、その逆は...。おばあちゃんは逆に元気になる。うちのお袋だって、親父が死んでから元気。一度心配になって「寂しくないのか」って聞いたことがある。そしたら、「だってあの人、好きじゃなかったから」だって(笑)。一人残されたおばあちゃんが、一人で御飯作って洗濯して、と頑張ってると「偉いねぇ」と褒められるけど、残されたおじいちゃんがそれをすると「かわいそう」って言われる。

子供は生きたタイムマシーン。我々の知らない未来を知ることが出来る。そんな子供たちのために、本当にこれでいいのか、僕らがもっと頑張らなくちゃいけない。

14 名画座の恋
15 舞姫

〜MC〜
今年こんなことになってしまったけれど、普通にこうやって生きていることが奇跡だと思う。元気でまた会いましょう。

16 泣クモヨシ 笑フモヨシ
(エンディングの音楽が流れる中、「今年は命について考える1年になりました。日々の命を大切に、1日1日を生きていきましょう」とコメント。静かに幕が下りる。19時47分。)

〜アンコール〜

17 奇跡

曲が終わりメンバーは去ったが緞帳は下がらず、さださんはいつもの水を飲んだあと考えるそぶり。そしておもむろにギターを持ち始めると会場から拍手。もう一曲だけ。この曲は、実は被災地では歌ってはいけないと思っていた。歌詞に「悲しみの海の向こうから 喜びが満ちて来るように」とあるから。でも、さだまさしファンクラブの人は2万人くらいいて、全国で布教活動してくれてる(笑)。その中にもいて、是非歌ってくれと頼まれた。これが実は一番喜ばれた曲だった。「海を恨んではいない。愛している。」と。ああ、この人たちは既にもう乗り越えているんだな、と感じさせられた。

18 いのちの理由
(終奏20時3分)

演奏が終わっても緞帳は降りず、ギターを置いたさださんがステージ真ん中から右、そして左とそれぞれの場所で手を振りながら深々とお辞儀をし、最後は静かに去っていった。

ロビーには恒例の「今日の演奏曲」が掲示されてましたので、写メでパチリ。曲が微妙に変わっていることが多いので、その違いを確認するのも楽しみの一つになっています。この日は5〜6曲目が関白宣言〜失脚だったのが、長崎...と雨の夜と...に変わっていました。ちなみに、最後はEC1とEC2となってましたので、2曲やるのはあらかじめ決めてたんだな、とわかりました。

コンサートの余韻に浸りながらホテルまで歩いて帰り、コンサートレポを少しまとめました。さすがにこれだけの文量を1日で書くのは難しかったので、途中で断念して寝ましたが、良い週末を過ごせました(^^)。翌日は、少し高松を散策しつつ讃岐うどんをもう一杯、と思っていたのですが、休日出勤のため、朝7時には高松を後にしました...。

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