第2章 コンサート
高知コンサートのついでに阪神の秋季安芸キャンプの訪問だぁー、とチケット買った時にたくらんでいたのだが、キャンプはこの数日前に打ち上げ(^^;)。結局実質10日くらいしかキャンプしてなかったようで、せっかく高速代使って高知入りしたのですが、安芸キャンプとさだまさしコンサートとのダブルヘッダーは夢と散りました(T_T)。
さて、高知でのさだまさしコンサートは1991年11月9日以来なんと14年ぶりでした。もっと行ってる気がしたんだけどなぁ。大学を卒業して17年、高知市内は何度か訪れているものの大学周辺はあまり行ってないため、この機会に少し早めに高知入りし懐かしい風景を見てきました。大学時代住んでいたアパートと呼べないくらいボロボロ(大家さんごめんなさい)のアパート、6畳一間で台所と風呂、トイレが共用で月1万円でした。でも住んでた5年間のうち約4年は一人でしたからほとんど専用みたいなものでした(^^)。当時既に相当古かったのですが、リフォームや修繕はしてない模様(^^;)。誰か住んでるみたいだったから、後輩よ、地震や台風には気をつけろよ(笑)。
大学周辺も随分土地開発が進み、狭かった道も広くなってたり、あれ?こんなところに道路が、というところに新たに道路が出来ててあったはずの家やお店がごっそりなくなってたりして、若干道に迷いました(^^;)。それでもあの頃お世話になった喫茶店やバイクショップで今も健在のところもあって嬉しくなっちゃいましたね(^^)。時間があれば寄ってたところです。訪れた時はあと3ヶ月で40歳になる時でしたが、この時だけは18〜23歳の大学時代にタイムスリップした感じでした。懐かしくもあり楽しい1日でした...と過去形にしてはいけない。メインはコンサートでした(笑)。
緞帳は会場のものを使用。開演前の場内放送で今日は2部構成であること、そしてステージ構成上の都合で会場の非常灯等も消すので万一の場合は係員の指示に従って欲しいことが告げられる。開演前に会場内を見ながら、あっちがグリーンホール(高知県民文化ホールのサブホール)でここが裏で繋がってて、ここらあたりが楽屋の入り口だなぁ、楽屋は確かあんな感じで...と懐かしく思い出してました。大学時代にグリーンホールでコンサートしてましたから、少しだけ詳しいんです(^^)。そうこうしているうちに、2ベルが鳴り会場が暗くなってきて...。
(開演18時6分)
第1部
1 さよならさくら
2 長崎小夜曲(ギター中心の新アレンジ。静かな感じに仕上がってます)
第1部はステージ左奥に凱旋門(ん?ちょっと違う?)の小型のような門らしきものが左から大中小の3つ置いてありました。
〜MC〜
きょうはだいたいこんな感じ。静かな感じの曲が多いし、途中で休憩も入る。お互い年とりましたから(笑)。高知は4年半ぶりになる。普通4年半も来てないと忘れられても仕方ないのに、こんなにもたくさん集まってくれてありがとう。でも長い間来ないといろいろ変わるもので行きつけのうどん屋のご主人が亡くなったりしてた。やっぱりちょくちょく来ないといけない。
特急さくら号が廃止になるっていうので2月23日に最後の乗車をしてきた。中学時代の同級生と高校時代の同級生との3人で。東京を出発する時に、日本酒、焼酎、ビール2ダース(笑)など、他の友達から差し入れがあり、横浜に着く頃には3人ともへべれけになってた(笑)。でも、長崎に着く頃には酒はほとんどなくなってた。長崎駅は終着駅だから列車の真正面に立つことが出来る。駅に着いてさくら号の真正面から「ご苦労様」と声をかけた時、涙が出てきた。それを見てスタッフが「さくら号の歌をかけ」と言うもんだから作ることにしたが、列車が廃止になる歌作ってもしょうがないのでああいう歌になった。
九州の人間というのは、九州最後の街・門司でふるさとという服を脱ぎ捨て下関で都会という服を着てその先の広島や大阪、名古屋、東京へと向かって行ったのだろう。逆に帰ってくるときは、下関で都会という服を脱ぎ捨て門司でふるさとという服に着替える。昔もそうだったが、今回のさくら号の旅でも、九州に入った途端、九州なまりの声が列車のあっちこっちから聞こえてきたような気がする。関門トンネルを抜けるとにぎやかになってくる、みんなふるさとを肌で感じてるんだな、と。
駅を題材にした歌と言えば、サッポロビールから冬物語の絵を描かないかという話があった。元々黒ラベルが好きで、この仕事を引き受けるとビールに困らないんじゃないか(笑)と思って引き受けた。ギャラは現物支給でいいと言ったが、サッポロビールの人が真面目に電卓たたいて「数百ケースになりますが...」(笑)と言われたので、現金にしてもらった。
3 冬物語
4 北の国から(メインテーマ、五郎のテーマ、ジュンのテーマ、蛍のテーマ、メインテーマの豪華メドレー)
5 手紙
〜MC〜
北の国からはいつもと違って豪華メドレーでお送りしましたので、あれは5曲としてカウントして下さい(笑)。
ここでメンバー紹介。
中学からバイオリン弾くために東京に来ていた関係もあり、オーケストラの人たちも仲間と思ってくれているのか、最近オーケストラの人たちと仕事をすることが増えた。また、バイオリンやってる子供たちからもよく声をかけられるようになった。どうやら母親に「精霊流しの前奏が弾けるように」とバイオリンを習わされている子もいるらしい(笑)。
オーケストラと言えば山本直純さんとも仕事をやった。オーケストラの人たちっていうのは意外に給料が安くそれだけではなかなか食べてゆけない。音楽をやっている人間がお金で困っていたらいい音楽は聴かせられない、が直純さんの持論で、いろんな人にいろんな機会に音楽を聴いてもらいたいという一心で軽井沢音楽祭を始め、自分も4度呼ばれた。最初、突然呼ばれた時は「何をすればいいのか」と聞いたが「おまえは客を連れてくればいい」と言われた(笑)。
兄貴分の建具屋カトー(笑)に相談したら、軽井沢は貧乏人の行くところではない。駅の改札で預金額とかをすべて調べられると言われ不安になり、音楽祭は8月なのに6月に下見に行った(笑)。そしたらほとんど誰もいなかった。白樺の木に病気がちの作家が寄りかかっている、というイメージ通りではなかった(笑)。イメージというのは大切だから、例えば京都は舞妓さんをそこら中に歩かす、長崎ならオランダ人、高知は男性はみんな坂本龍馬の格好をすればいい(笑)。梅雨の軽井沢で教会で結婚式を挙げているカップルを見て、何の縁もない人たちだったけどこの曲のイメージが浮かんだ。
直純から25分の曲をかけ、と言われたが自分には12分が精一杯だった。もちろん25分歌えと言われれば歌えますよ、と言いながらレコードの遅回しのように親父の一番長い日を歌い始める(笑)。逆に速くも歌える、といいつつ今度は早回し版親父の一番長い日(笑)。これいいね。ちゃんと再生し直せるシステム作って、コンサートで時間押してきたら「今から案山子を早回しで歌いますので、帰ってからゆっくり再生して下さい」て言えば(笑)。まあでも、そんな場合はトーク削れば簡単なんですが(笑)。
6 親父の一番長い日
(1部終了19時5分)
第2部(開演19時16分)
7 小夜曲
8 セロ弾きのゴーシュ
9 精霊流し
第2部はステージ右奥にパルテノン神殿の柱のようなものが2つ。
〜MC〜
今日はこんな感じです(笑)。話し始めた時に最前列の人が帰ってきた。おそらくトイレからだろうと「あの時間じゃちょっと短いですよねぇ」(笑)と客に話しかけるまっさん。
中1の時バイオリンの修行のため東京に出てきたが自分の言葉が不安で3日間は喋らなかった(笑)。私だって喋らずに過ごせるんです(笑)。3日目の帰り「さだ君、一緒に帰ろう」とのりちゃんに声をかけられたが、ただ後ろをついて歩くだけ。何も喋らない。東京の「一緒に帰る」はこんなもんなのかな、と思っていたら墓地のすぐ近く(笑)でのりちゃんが突然振り返った。殺されるかも、と思った(笑)。のりちゃんは「佐田君、イラク戦争についてどう思う」(笑)と聞かれ、「良くないと思います」と答えたらまたそのまま歩き出した(笑)。パーマ屋の前でまた振り返って「ここが僕のうちです。じゃあさようなら」と帰っていった(笑)。
でもそれからのりちゃんは僕の親友となり、加山雄三の「君といつまでも」と同じコード進行で曲を作った時もそれをすごく感動してくれた。加山雄三は、自分にとっては「音が苦」を「音楽」に変えてくれた人で、あの人に出会わなかったら、こんな悪の道に進むこともなかったはず(笑)。中2・中3の時の担任は通称ロボと呼ばれる村山先生。卒業してからもよくクラス会なんかで出会ってて、3年前にも古稀のお祝いをした。酔うと「木根川橋」の話をよくしてくれ、「あの最後に寝ちゃう先生は誰だ」と聞かれると「お前だよ」と言うととても嬉しそうにしてくれた。そしてしばらくすると眠っていた。退職してからも塾の講師をしながらコンサートにはお母さん連中を20人も引き連れてよく来てくれていた。そのロボが今年の夏亡くなった。73歳、まだ大丈夫とロボ自身もそして私自身も油断してた。「木根川橋」が好きだったから、ロボの来ている松戸のコンサートでは毎回歌ってればよかった、と今になって思う。
10 木根川橋
11 案山子
12 秋桜
〜MC〜
みんな昔は貧しかった。中学の頃、本当にお金がなくなったらコーラの瓶を10円にかえて長崎に電話した。電話は「金、金」って何度か言えるだけ。それでもこれを言うってことはまさしはいよいよ困ってるんだ、ということで家からお金が届いてた。ある時、弟しか家にいなくて、それでも小学生の弟が兄貴が困っている、と考えたあげく500円札を3枚、「とりあえずこれでしのいどけ」(笑)というメモと一緒に送ってくれた。なかなか使えない。でも使わないと死ぬので、新発売、1個19円のラーメンを500円で買えるだけ買ってしばらく飢えをしのいだ。また、500円を10倍にして返してやろう(笑)と思ったが5分でなくなった(笑)。残りの1枚は使えなくて本の間に挟んでいたが、それを忘れて本を売ってしまった(笑)。
今は銀行振込でカードですぐお金が引き出せる。何もかも便利な世の中になってきたけど、果たして便利は幸せを運んできてくれたのだろうか?大切なのは、豊かなことをどれだけありがたいと思えるか、ではないだろうか。昔は、貧乏だけど不幸ではなかった。
13 とこしへ
14 MOTTAINAI
15 女優
〜MC〜
バイオリンをやるために東京に出てきたのに途中で挫折したし、大学は途中で辞めてしまった。歌手になってからも借金はあったし、自分の人生は結構波瀾万丈である。でも、あそこで駄目だったから今があるとも思っている。あきらめが悪いんですね。最近DJやテレビで司会とかやらないか、と声かけてくれることもあるが、自分を一番表現できるのはコンサートだと思ってる。将来は看護師つれて1曲ずつ血圧計りながらでもやれたらいい(笑)。
来年で20回目となる夏・長崎からは来年で止めると決めた。あれを始めたのは20年前、自分としては金銭的に一番苦しい時期にタダで始めた。あのコンサートはだいたい3000万くらいの赤字が出る。それでも最近はスポンサーもついてくれて少し楽になったけど、逆に本当にこのままでいいのかな、と。ぎりぎりの部分で自分の心の叫びを聞いてもらうコンサートが出来なくなったような気がする。本当にこのままでいいのか?それを確認するには止めるしかないと結論が出た。
9年前から加山さんがゲストで来てくれている。昔の自分に「加山さんがお前のためにタダで来て歌ってくれるんだぞ」と言ってもおそらく信じないだろう。未来なんて誰にもわからない。未来の別名は希望。未来には素敵なことがいっぱい詰まっている。今日はこれを伝えたくてわざわざ高知まで来ました(拍手)。
16 天然色の化石(ギター弾き語り)
17 風に立つライオン(いつものオーケストラ録音のものでなくバックバンドが演奏)
(第2部幕20時57分)
〜アンコール〜
緞帳があがるとステージ上には大小様々なハート型の風船が浮かんでました。
18 奇跡
間奏では、ステージ前方に出てきて、手を振る観客に笑顔で手を振り返している姿が印象的でした。曲が終わるとまっさんを中心にメンバーのみんながステージ前方に並び一礼。メンバーが去ったあと、まっさんが会場を見回し、風船を2名の方に渡して、いつものように手を振りながら去っていきました。
(21時05分)
コンサートが終わり高速道路で愛媛へ。往復の車中は「書簡集」。さすがに全部制覇するほどの距離ではありませんでしたが、第7夜の途中まで1日で制覇しました。前日のラジオ公開録音から始まって、移動中に書簡集、そしてコンサートとまさにまっさん三昧の2日間。今回も元気と勇気をたくさんもらえたコンサートでした(^^)v
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本邦初公開、虎キチ@愛媛のコンサートメモです。
コンサートレポを見た人から「よく細かく覚えてるね」と言われるんですが、コンサート中にこのようなメモをとっています。暗い中で書くのでかなりの走り書き、しかも曲名のミス(今回の場合、「手紙」を「とこしへ」と勘違い(^^;)。新しいアルバムからの曲はよく間違えます(^^;))などもあるし、自分で何を書いてるのかわからない汚い字(^^;)なんかもあって苦労するのですが、なるべくコンサート翌日、遅くとも3日後くらいまでにこうやって活字にしておきます。現在進行形のコンサートレポを載せるのはあまりよくない(さだまさし公式HPにもそのようなお願いがありますので、それにしたがってます)ので、HPに載せるのは少し先になりますが、少しでも記憶に残っている間にまとめておいた方がいいですからね。コンサートレポとメモを見比べてみるのも面白いですよ(^^)。
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