夢があります
   噺歌集Wより抜粋(’86.2.16. 東京厚生年金会館)

「夢」それから「夢一匁」と二曲、夢にかかわりのある歌を続けて歌いました。誰でもね、夢ってあると思うんですね。大なり小なり、いろんな形の夢ってのがね、それぞれにおありになると思います。僕にも夢はあります。これは実現可能な夢なんです。

僕はね、よくいわれるんですよ、「まさし、おまえ、生き急いでるんじゃないか、そんなにいろんなことをやって」あまりにいろんなことをやりすぎるってんですね、僕が。だいたい、日本ってのは一つのことをコツコツコツコツやってる学究肌、職人といった人たちが尊敬されますよね。

僕はほんとうにいろんなことをやります。とにかく借金してまでやりたいことをやってます。僕はね、時間に追いかけられるんじゃなくて、時間を追いかけているんです。だって、ああ、あれをやっておけばよかったなあっていう後悔なんて絶対にしたくないですものッ。やってから、ああ、失敗したなあって思ったってやった分だけ得じゃないですか。だから、いろんなことをしたい、知りたいんです。

でも、それは生き急いでるんではないんです。僕には夢があります。その夢の実現のために、いろんなことをやっているところなんです。人生はたった一度しか生きられないんです。だから、いろんなことを体験して、それを身体のあちこちのポケットにしまっておきたいんです。

僕の夢! 年をとったらへんなじじいになりたいんです(笑)。いや、笑ってらっしゃいますけど、僕、本気でへんなじじいになりたいんです。残念ながらへんなばばあにはなれないもんで、身体の構造上ね(笑)。

ほらッ、時々いるじゃない、へんなじじいが。いろんなこと知ってやがって、ホラ吹きでね(笑)、なんでも知ってる、どこまで本当かわからないけど、いろんなことを知ってるじじい、そういうのになりたい。そのために、いま、いろんな体験を積んでいるんです。で、年をとったら若い衆を集めてね、ホラを吹くんです。「あのじじいよ、ホラばっかり吹くけど結構おもしれぇんだ。行こうぜ」って町内の若者連中がワサワサ寄ってくる。それを相手に、そりゃもう、いろんなことしゃべって聞かせる。お茶菓子も出してね、フフッ、お茶菓子で釣る。そのために今からお茶菓子代をためるんです。ああッ、へんなじじいになりてぇなぁ!(笑)

たけど、本当のこといっても信じて貰えないだろうなあ。ホラだと思われるようなこと、僕はいろいろやってきましたからねえ。たとえば、あと三十年も四十年もたってから、もし生きてたとしてね、こんな話をするの。

「バッキャロウッ、わしの若い頃はなッ、新宿の厚生年金って知ってるだろう。あすこにな、ワアッと、たァくさんのお客さんがな、わしの歌を聴きに」(笑) なんで笑うの? ねえ、なんで笑うの? 歌を聴きにで(爆笑)。フフフッ、「しゃべりもだけどなあ(笑)、そりゃあもう、たくさんの人が集まってくれたんだぞォ」
「嘘つけッ、このハゲッ!」(爆笑)
とかいわれながら頑張りたいですよねえ。話だけじゃ信じて貰えないようなこと、たくさんありますもの、わたしの場合は。

「わしがな、若い時にな、奈良の東大寺の大仏様に尻向けて歌ったんだぞォッ」
「ほんとォッ? このじじいがァ」(笑)
なんて、いわれるような気がするなあ。
「わしの若い頃、中国に行ってな、峨眉山に登った。峨眉山、知ってるか?」
「ああ、あの杜子春に出てくるあの山かな」
「そうだ、その峨眉山、標高三〇九九メートル、わしはな、あの、中国の名山中の名山といわれる峨眉山に登ったんだ、自分の足でな。きれいだったぞォ。その頂点に立ってなァ、雲海の上からゴビ砂漠に向かってションベンをしたんだッ、俺はッ」(笑)

本当にしたのに信じないやつがいるんじゃないかと思うんですね。そういう意味じゃ、ずいぶんいろんなことをさしていただきました、おかげさまでね。ああ〜ッ、へんなじいさんになりてぇなァ! わたしはそんな夢を抱いております。

ほらッ、可愛いじじいってよくいるでしょ、もうッ、あのおじいちゃん、可愛いのォッ、優しくって、いつもニコニコしててね、人がよくって、なぁ〜んていわれたかァないんですッ、わたしは(笑)。あのじじい、やなやつだな、なんていわれながら、ご近所の嫌われ者でいてね、子供が道端で遊んでると、パシーンッて横っ面ひっぱたいて、「(年寄りの声で)危ないとこで遊ぶんじゃねえッ、このガキはッ」(笑)なんていいながら歩く。僕の子供の頃いましたよ、松竹じいさんっていって、大きな声で子どもを怒鳴って歩くご近所の嫌われ者が、長崎でね。

まあ、怒って歩くだけじゃしょうがないんですけどね。でも、誰かが相談にくるとね、「おうッ、それはな、こうだよ」なんて、なんでも答えられる、そんなじいさんになりたいな。そのためにはなんでもします。今から、いろんな体験を積んでおきたいんです。東に可愛い女子学生いれば行って電話番号を聴き、西に淋しい未亡人あれば共にコブ茶を飲みつつ語らう、そんなじじいにわたしはなりたいッ!(笑)

死ぬ時がまたいいのッ!(笑) もうッ、最後のひと言を決めてあるんです。いよいよ危ないって思ったら、近所の若い衆を全部集めるんです。みんなワァーッと集まってきますよ。もうねッ、可愛い女の子なんかウジャウジャ来ます(笑)。で、最後、わたしはね、ヨレッとしてるんです。やっと布団から起き上がってね、苦しい息の中から
「(力ない低い声で)わしはなあ、いままでこうして生きてきたがなあ、なかなかおもしろかったあ。最後にひとつ、お前たちに頼みがある。威勢よくいきたい、それじゃあッ、お手を拝借ッ(笑)、イヨーォッ、パ〜ンッ」(笑)

これで、ガクッといくわけね。そうすっと、若造の中のリーダーがわたしにパーッと駆け寄ってきてね、ガバッと抱き起こすとパンパンパンパンッて頬っぺたを叩いて、わたしを呼び戻すの、
「じいさんッ、しっかりしろッ、じいさんッ、じいさんッ!

そうすっとわたしはうっすらと目を開けて、息も絶えだえに最後のひと言をいう。こう、手をさしのべてね、聞こえるか聞こえないか、でも聞こえるように、
「アアーッ、あ、赤城山のふ、も、とォ〜…」ガクッ。

すると、若造め、びっくりするわけですよ。まわりの連中の顔見まわして、
「おいッ、いま、なんかいっただろッ、じいさん」
「うん、いったよッ」
「なんつった?」
「赤城山のふもと、とか…」
「いったよなッ、赤城山のふもとって、確かに!」
「じじいッ、なんか埋めやがったぞッ、これッ」(爆笑)
「そうだッ、絶対埋めたよッ」

みんなでツルハシ持って、赤城山のふもとまででかけるわけ(笑)。埋めてないのッ、ぜ〜んぜんッ(笑)。わたしは嘘ついたわけじゃあないんです。赤城山のふもとはきれいだっていいかけて死ぬわけですから(爆笑)。

まあね、わたしはそれが夢です。実現可能な夢! そうやってホラ吹きたいためにね、いま、どんなことでもやろうじゃないか、なんでも体験してやろうじゃないかってね、頑張っているところでございます(拍手)。楽しいよォ!

※1989年4月、フジテレビ系列の夜のヒットスタジオDELUXEのマンスリーゲストとして、さだまさしは登場している。その最後の週(だったと思う(^^;))に、「建具屋カトーの決心〜儂がジジイになった頃〜」は生放送中にライヴレコーディングする、という画期的な方法で発表された。生放送らしく、ミス(ギターマイクにギターを当てる音)もしっかりCD録音されている。(^^)

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