佐田雅志救済資金
噺歌集より抜粋(’79.4.12. 倉敷)
四月に入りまして、新学期、新学期、こういったものが一斉にスタートしたわけで、なんとなく新しい気持ちで、今学校に通ってらっしゃる方、それから会社に通勤してらっしゃる方、いろんな方がおありだろうと思うんですが、えー、学生時代の思い出っちゅうのは、やっぱり、なんとも甘酸っぱい感じがして、気持ちがいいもんですね。なんとなくテレくさいような、どこかカユいところがあるんだけど、そして、一生懸命にそこをかいてるんだけど、ほんとうにカユくないみたいな、そんな感覚があります。
ぼくは中学校、高等学校を東京で過ごしたんです。ま、ひとりで下宿をして過ごしたんです。この時期ってのが、ぼくがいままで生きてきたなかで、一番ね、バカげてた。バカげてたってのは、ムチャクチャだったのね。
ぼくは下宿でしょ、親から仕送りがあるわけです。で、仕送りのあるヤツって、まあ経験のある方もいらっしゃるでしょうけど、送ってくるとすぐ使っちゃうのね。友達に大尽振舞いするわけですよ。
「オイ、おれんちこいよ、今日はスキヤキやるから・・・」
なんてね。みんなでスキヤキやって、バッと派手にやって全部お金なくなっちゃうんですよ。で、あと残りのひと月間、友達の弁当食べ歩いて、そうやって生きのびる。そんな感じだったんですね。
それでそのうち「佐田雅志救済資金」というのを、うちのクラスのヤツで募りましてですね、「十円くれ」というのがはやったんです(笑)。これは私が考え出して全校にはやらせたんですが・・・・・・あの、帽子をとりましてね、一年生担当、二年生担当、三年生担当、一人ずつ担当がいましてね。人の顔を見るなり、「オイ、十円くれ」っていうんですよ。すると、十円くらいどうってことないから「アイヨ」ってくれるんですね。これね、十人集めて百円でしょ。ところが百人集めると、これ千円なんですね。学年全部をまわると、二百人や三百人は簡単に十円くれるんです。
で、それを、
「やア、よかった。こんなに救済資金が集まった」
って喜ぶ。出す方は、なんで出すのかわかんないわけですよね。
「なにすんの?これ」
「ああ、調査、調査」
なんてね。何の調査かわかんないけど、何か調査なんだろうな、と思って渡す。まあ、サギですな、一種の(笑)。エヘヘ。
これでもって
「よかった。佐田雅志救済資金ができた。じゃあこれで佐田んちち行ってスキヤキしよう」(笑)
結局救済資金にならず、その日の晩飯代と、翌日の昼飯代に全部消えて・・・むなしかった。
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